過激な人間原理について

これは科学でしょうか。

いや事実の現象とみます。

われわれ人間が居て確認、認識出来るので宇宙がある。

推し進めると私が居るため世界がある。

私が眠っている間は宇宙世界もあり得ない。

眠りから覚めたときから、宇宙が存在する。

さらに推し進めると活性している私が宇宙世界を

作っていることになる。私が死ぬと全てが無くなるのでしょうか。

自分が死ぬか眠るかで喜ばしいようなまた辛いようなことも

考えられます。それはいつか必ず目が覚める(生返る)

こうなると宗教的な事と錯覚しそうです

科学的に考えたいけれど、私たちの脳がそのように

解釈するようになってきたのでしょうか。

また神に頼るようになってきます。

今という感覚のある私自身が宇宙を創造しているのだろう。

いくら過去、未来を想像しても感じているのは今現在の自分であります。

今をなぞっている自分がいるから、宇宙が存在できます。

私は今後も自分の世界を創造していきますが、幸福な世界を

創って行くべきと考えます。私の幸福の理想は私の廻りの人々また

私と生活する全ての者,物です。また神に頼るようになってきました。

理想の今をなぞるよう祈っていきます。

私の過去と未来は今の感触のみであり実際は無いのだろうか、

今の時間は一瞬のみでありまた私の一生の時間でさえ

何億年も前から比較すると一瞬また今後の何億年の先までも

ありうると考えられますが今はほんの一瞬であり時間間隔は

無いのに等しく考えられます。なぜ私は今の時代に居るのでしょうか

今の時代に居るのが人間原理の考えに従えば必然であって

このかたちしかとざらるをえないのでしょうか